歴史

沖田総司に関する雑学

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沖田総司はどんな人物だったのか?

沖田総司は、白河藩士の子供として生まれます。

近藤勇など他の新選組の仲間とは違い武家の家に生まれました。

新選組の中では強く頼れる人のイメージがありますが、普段は冗談をよく言うことがあり、近所の子供たちと一緒に遊ぶなど、よく笑う人物であったと伝わっています。

新選組局長の近藤勇のことを本当の兄のように慕っていて、近藤勇のためにその生涯をささげた人物といっても過言ではありません。

沖田総司の逸話として、沖田総司が12歳のころに、白河藩の剣術指南と勝負をして見事に勝利したという話があります。

これが、本当であれば沖田総司が幼いころから剣術の才能があった証拠と言えるでしょう。

沖田総司は天然理心流を習得して近藤勇らに替わり、塾頭を務めるほどの実力者でした。

新選組のなかでは、沖田総司と並び剣の腕が立つと言われていたのが、永倉新八、斎藤一でした。

新選組のファンのなかではたびたび誰が一番強かったのか議論されることがありますが沖田総司が確かな剣の腕前を持っていたことは事実でしょう。

沖田総司は美男子ではない?

沖田総司と言えば、どのようなイメージを持っていますか?

剣術の腕に優れていて、病弱ながらも美男子、つまり現代で言えばイケメンのようにテレビや映画などでは描かれていることが多いですが、実際にはイケメンだったとする写真などは1枚も残っていません。

インターネットで「沖田総司」と検索するといくつかの写真がヒットしますが、実はこれは沖田総司本人ではなく後に沖田総司の近親者がどこか沖田総司に似ている

といっただけで、沖田総司をモデルとして書いたものではありません。

実際にはイケメンであったかどうかはまったくわからないということです。

沖田総司の美男子というイメージは後世のテレビや映画、ゲームなどの影響が強いです。

沖田総司って女好きだったの?

沖田総司は生涯独身であったと言われています。

同じ新選組の仲間、例えば近藤勇や土方歳三などのような派手な女性遊びをしていたのかと思う人もいるかもしれませんが、沖田総司は恋愛に関してはとても真面目であったようです。

沖田総司の女性に関する記録はあまり残っていません。

ただし、沖田総司がまったく女遊びをしていなかったわけではなく、他の新選組の仲間と同じように遊女を買ったという記述が残っているので何度かそういった女遊びをしていたようです。

沖田総司の病気は?

沖田総司というと病弱というイメージですが、その沖田総司がかかっていたという病気が結核であったと言われています。

テレビや映画などで沖田総司が池田屋事件の際に沖田総司が血を吐いて戦場から離脱するというシーンを見たことがある方もいらっしゃるでしょうが、このときの沖田総司に関しては様々な説があります。

結核によって血を吐いたというものと、暑さのために熱中症や貧血のために倒れたとする説があります。

結核のためではないとする説では、結核で血を吐くのは末期症状で、このときにすでに血を吐いていたのならば、沖田総司はもっと早くに亡くなっていたはずといわれています。

沖田総司の最期

沖田総司は結核を発症して、最期は医者の松本良順の治療を受けていました。

しかし、そのあとこの世を去ります。

この数か月前には兄と慕っていた近藤勇が新政府軍の手によって斬首されていました。

この近藤勇の斬首については諸説ありますが、沖田総司にはその事実が伝わらないまま亡くなったのではないかと言われています。

幼いころから慕ってきた近藤勇の死を知らないまま亡くなってしまっていたならとても悲しい沖田総司の最期ですね。

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