歴史

近藤勇に関する雑学

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近藤勇はどんな人?

新選組局長を務めた人物で、徳川幕府のために尽力した人物です。

新選組の局長というイメージのため、もともと有力な武家の出身だと考えている人もいるかもしれませんが、近藤勇は農家の三男として生まれました。

その後、天然理心流剣術(てんねんりしんりゅう)で知られる近藤周助の近藤家にその才を見込まれて養子となります。

え?近藤勇の正妻はかわいくない?

近藤勇と言えば、新選組の局長であり、近藤勇の写真を見ると凛々しい顔立ちで男らしいといった感じです。

ですから、近藤勇ならば相当な美人の奥さんがいるのだろうと皆さん思うでしょう。

近藤勇には確かに、正妻がいました。

名前を松井つねという女性です。

この人は、御三卿(ごさんきょう)のひとつ清水徳川家の家臣、松井八十五郎の長女として生まれます。

近藤勇は農家の出身でしたが、つねは武家の娘でした。

2人はお見合い結婚で結婚することになります。

しかし、近藤勇はこれまで何度かお見合いをしています。

しかしどのお見合いでも結婚することはしませんでしたが、松井つねとのお見合いでは結婚することを決意します。

その理由について、諸説あるようですが、近藤勇は道場を開いていました。

そこには、現代風に簡単に言うと当然若い門下生の弟子たちが通ってきます。

そして、その道場を切り盛りしてくれる自分の妻が美人であれば、門下生たちが稽古に集中できない、しかしつねの顔ならばそれはないだろうという風に言ったと伝えられています。

つまり、可愛くないからつねなら安心だというのです。

これは、本当ならばひどい話です。

正妻といいますが、実際に近藤勇と娘を一人もうけたものの、実際に家族で生活した期間は約1年しかなかったそうです。

松井つねは近藤勇の死後、周りから再婚を進められますが再婚をすることはありませんでした。

何度か自殺未遂を起こしたりもしていたと伝わります。

いろいろなことがあっても、きっと近藤勇のことを心から愛していたのでしょう。

近藤勇本当は美人が大好き、女好き。

さて、松井つねという正妻の話から近藤勇は実は美人が嫌い、女よりもお役目に一生懸命だったのではないか?と考えている人もいるかもしれませんが、残念ながら違います。

近藤勇は女好きです。

実際に近藤勇には多くの愛人がいました。

その多くは若く、周りから美人と評判の女達でした。

その中でも、有名なのが深雪太夫(みゆきだゆう)です。

この女性は病弱であったと言われていますが、美人で近藤勇が身請けして自分のところで囲っていたといいます。

しかし、この身請けをしてしばらくして、深雪太夫は一説では亡くなったとか、手切れ金を払い別れたとも伝わっていて、深雪太夫と別れてしまいます。

そのあと今度は深雪太夫の妹のお孝(おこう)を囲います。

このお孝との間に娘が誕生しました。

その他にも、近藤勇の子供を産んだ女性がいました。

近藤勇の周りには本当にたくさんの女性がいたようです。

近藤勇の最期は?

江戸幕府のため将軍のために必死で戦い続けた近藤勇ですが、ついに新政府軍に捕まってしまいます。

近藤勇はこのときに偽名を名乗り、近藤勇というのを隠そうとしていましたが、新政府軍の中に近藤勇の顔を知るものがいて、近藤勇だということが発覚してしまいます。

そして、その近藤勇に待っていたのは、処刑でした。

近藤勇の首は処刑された後、京都に送られます。

そこで、近藤勇の首は民衆の前にさらされます。

その首を見るために京都の三条河原に人々が集まったそうです。

しかし、その後の近藤勇の首の行方ははっきりとはわかっていません。

諸説あり、その後どうなったか定かではありませんが、時代に翻弄され幕府のために最期まで戦った男の最期としてはせつないものでした。

近藤勇の墓と伝わる場所は日本全国に数か所あります。

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