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土方歳三に関する雑学

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土方歳三はどんな人?

土方歳三は新選組の副長であり、鬼の副長と称されていました。

その理由は、厳格な規律を作りルールを破ったものには切腹させるなどしたため、とても恐れられていた存在でした。

土方歳三は武家の出身ではなく、農家の家に生まれ、子供のころから武士に強いあこがれを抱いていました。

近藤勇と同じく農家の出身でした。

子供の頃は乱暴者という意味のバラガキと呼ばれるほどやんちゃな少年でした。

近藤勇の右腕として近藤を支えます。

土方歳三も近藤勇や沖田総司と同じように、天然理心流でした。

剣の腕では、沖田総司や永倉新八ほどではないものの確かな腕を持っていました。

土方歳三の趣味のひとつに俳句があります。

豊玉という俳号を持っていました。

土方はときどき、部屋に籠ったりして一人で俳句を作っていたそうです。

その自らの俳句をまとめた豊玉発句集というものが今も残っています。

全41句が詠まれています。

ただし、その腕前の方はあまり良いとは言えず、上手い下手というよりも、土方歳三が感じたことをそのまま自由に詠んでいて彼の人間性が出ているものが多く見受けられます。

また、土方歳三は恋の句もいくつか詠んでいます。

そのなかで、有名なものが「しれば迷いしなければ迷わぬ恋の道」というものです。

まさに、恋多き土方歳三だからこそ詠めたものと言えるでしょう。

他にも日常の様子などをそのまま詠んでいる「梅の花一輪咲いても梅は梅」というものもあります。

土方歳三の俳句は現代語訳され、また様々なグッズになっているので、土方の俳句に興味のある方はぜひ探してみてください。

今までの土方歳三のイメージと少し変わります。

有名な池田屋事件の時には、後から近藤隊の元に駆けつけます。

このとき、新選組の近藤らは劣勢であり、この土方歳三らの到着が少しでも遅れていたならば近藤勇の命も危なかったといわれています。

池田屋事件に関しては、新選組が古高俊太郎を捕え、その古高を土方歳三が拷問して、計画を自白させ、その協議を行う会合があることを知り、池田屋事件へと発展しました。

土方歳三は自分がイケメンだと理解していた

土方歳三の写真を見ると、誰もが思うのがかっこいい、男前。

現代の言葉でいえばイケメンです。

土方歳三は自分がモテることをよく理解していたようで、知人宛てに自分はモテすぎて困るという内容の手紙を送っています。

土方歳三は自分でも言っているとおりたくさんの女性と交際関係にあったようです。

土方歳三は若いころからモテモテでした。

17歳の頃、奉公先の女中を妊娠させてしまいます。

結局この女中と土方歳三が一緒になることはありませんでした。

そのあと、琴という三味線屋の娘との結婚話が持ち上がります。

琴は三味線がうまいだけではなくとても美人で評判のよい女性でした。

しかし、土方は自分が名をあげるまでは自由にさせてほしいと伝えて、すぐに結婚はしませんでした。

今でいう婚約者が琴という女性です。

結局最期まで、土方と琴が結婚することはありませんでした。

土方歳三の最期

土方歳三は、五稜郭の戦いにより戦死をします。

その戦死する少し前に新選組の隊士で、このとき土方の周りの世話をするために仕えていた市村鉄之助に、土方は遺品などを託します。

市村鉄之助は、土方の命に従い親戚の佐藤彦五郎という人の屋敷にたどり着き、土方の手紙と遺品を渡しました。

土方歳三資料館

土方家のご厚意により開設した資料館で土方の遺品や土方が武士を目指したときに植えたとされる矢竹などがあります。

また、資料も公開されているので、実際に土方歳三がどのような人物であったか知るためにはぜひ訪れておきたいスポットです。

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